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《托尼泷谷》文学中的身份认同丧失

武踏仙魔围观:℉更新时间:2021-12-18 11:49:46

《托尼泷谷》文学中的身份认同丧失

本文是是一篇文学论文,本稿以主要人物的孤单为切入点,探寻了战后日本社会的身份丧失问题。

第一章 作品の成立について

1.縁起

1991 年7月に出版された『村上春樹全作品集 1979~1989⑧』18の別冊付録「自作を語る 新たなる胎動」は、作家本人が『全作品集』に収録されている作品の縁起、創作経緯、作品に関するエピソードなどの内容からなっている創作譚であり、貴重な研究資料である。その中に「トニー滝谷」の縁起について、「僕がトニー滝谷という話を書こうと思い立ったのは、ずっと前にマウイ島で「TONY TAITANI」と書かれた古着の T シャツを一ドルで買ったからである」19と村上本人が語った。「いったいこれが何を目的として作られたシャツなのか、僕にはわからない。なにかの店の名前かもしれないし、あるいは選挙のために作られたのかもしれない。」何の目的で作られたのか、誰が着ていたのかも全然知ないまま、作家がその T シャツを買ってしまった。最初から「トニー滝谷」という小説は村上春樹らしい偶然さが含まれていると鈴村和成は「宮沢りえはなぜ泣けなかったのかー『トニー滝谷』」というエッセーで指摘した。鈴村氏の話によると、「一ドルで買った古着の T シャッツを小説のタイトルにする」ことは、「村上春樹における命名の恣意性をあらためて納得させるものだ」20。なお、この点において本論文の主張とは異なっている。....................

2. バージョン

村上は「自作を語る 新たなる胎動」に「トニー滝谷」という小説の異なるバージョンについての解説である。

トニー滝谷はそれ(「眠り」:筆者注)から一年くらいあとに書いた小説で、もともとは『文藝春秋』のために書いたのだが、ここに収められたものはそれを長く延ばしたストレッチ版である。ちょっとややこしい話になるのだが、僕は最初ロング?バージョンのトニー滝谷を書いた(a)。そしてそこから余分なものをぎりぎり切り捨て、はぎ取って、ショート?バージョン(あるいはミニアリスト?バージョン)のトニー滝谷を書いて、それを『文藝春秋』に掲載した(b)。そして今回全集に収録するにあって、(b)をあらためて長くして二回めのロング?バージョンを作った(c)わけである。どうしてそんな面倒なことをするときかれても、僕にもよくわからない。しかしとにかく、この作品に限って長く延ばしたり、短く縮めたり、いろいろ試したかったのだ。レイモンド?カーも同じようによひとつの話で長いと短いを作っているだが、たしかにそういうのはある種の勉強になる。どちらがいいのか、自分でもよくわからないが、ショート?バージョン以上には短くなりようがないし、ロング?バージョン以上には長くなりようのない話しだ。藤井省三は、「トニー滝谷」のそれぞれの異なるバージョンと『ねじまき鳥クロニクル』、「ねじまき鳥クロニクルと火曜日の女たち」との比較を通して、「初出誌版『ねじまき鳥 第 1 部』では歴史に対する永遠の傍観者である孤单なトニー滝谷を登場させることにより、主人公の「僕」すなわちオカダトオルに日本の現代史への参与を促した」と論じている。......................

第二章 作品から読まれる主要人物の孤单

1. トニー滝谷の孤单

テクストにおいてトニー滝谷の孤单は変容している。本稿は時間の順で検討していく。

トニー滝谷は幼い頃「閉じ籠りがちな少年」であった。母が彼を産んだ三日間後死んでしまったし、父親はしょっちゅう楽団を率いて演奏旅行に出ていた。彼には友達らしい友達もいなかった。幼いころに家政婦が彼の面倒を見てたが、小学校も上の学年になると、彼はなんでもひとりでこなすようになった。しかし友達がいないことは「彼はとくにそれを辛いとも思わなかった」。一人でいることにも「とくに寂しいとは思わなかった」。むしろ彼にとって「誰かあれやこれやと構ってもらうよりは、自分でやった方がずっと気が楽だった」。ひとりでいることは、彼にとってはごく自然なことであり、敢えて言うならば、生命のある種の前提でさえあった。(中略)彼はなんでもひとりでこなすようになた。ひとりで料理をつくり、ひとりで戸締りをして、ひとりで眠った。「ひとり」という言葉を繰り返すことにより、トニー滝谷が生きている世界が描かれている。彼の無言のままで沈黙の生活を繰り返すことが想像できる。まだ子供であるトニー滝谷がそのような生活には不満も何ま感じていなかったが、それは明らかに普通に子供としての生活ではなかった。.........................

2. 妻の孤单

トニー滝谷の孤单は表で描かれるなら、妻の孤单が裏にあり、隠されていた。山根由美恵は「絶対的孤单の物語 村上春樹『トニー滝谷』『氷男』におけるジェンダー意識」で、ジェンダーの視点から妻の孤单を論じている。山根由美恵は当論文で、「「トニー滝谷」「氷男」二つの短編小説を合わせて見ると、ジェンダーの問題が浮かび上がってくる。「トニー滝谷」「氷男」の中に含まれている女性の孤单も無視できない」と指摘した。

トニー滝谷と結婚する前に、妻は出版社でアルバイトした。トニー滝谷と出会った時は 22 歳であった。年齢が十五も離れていたにもかかわらず、二人は「不思議に話があった」。彼らはいつまでも飽きもせずに話し続けるとこができた。二人は「まるで空白を埋めるみたい」に話し続けた。

二人の結婚生活は順調だった。妻は有能な主婦であり、何事にも節度というものをわきまえていた。できぱきと家事をこなし、夫には余計な心配をかけなかった。しかし妻が服を買いすぎる。新婚旅行中に彼女はただ「魅せられたような目つき」であきれるほどの数のを買いまくった。トニー滝谷は後ろをついてまわってその勘定を払った。日本に戻ってもっとひどくなった。......................第三章 作品から読まれる戦後日本社会のアイデンティティー喪失 ...... 25

1. アイデンティティーとアイデンティティー喪失................. 252.主要人物の象徴的な意味................ 272.1 トニー滝谷 ................... 282.2 妻 .................... 31

第三章 作品から読まれる戦後日本社会のアイデンティティー喪失

1. アイデンティティーとアイデンティティー喪失世界大百科事典によると、アイデンティティーとは、自我によって統合されたパーソナリティが、社会および文化とどのように相互に作用し合っているかを説明する概念である。日本語の訳語としては、自己同一性(self identity)、自我同一性(ego identity)、主体性、自己確認、帰属意識などがある。最初は、1915 年フロイトは『悲哀と鬱病』の中で、初めて「アイデンティティー」という概念を作り出し、アイデンティティーが個人と集団の心理に影響を及ぼすと指摘した。アメリカの精神分析医エリクソンはフロイトの唱えた「アイデンティティー」概念を更に発展させ、また社会心理学に導入した。エリクソンは、アイデンティティーのことを、「自分らしさ」または「自分が自分であること」といった言葉で表してる。つまり、「自分とは何者なのか」という疑問に対して、「自分はこういう人間だ」という自覚を持つことがアイデンティティーの始まりである。哲学の分野で用いられることの多かったこの言葉が、社会学や心理学の分野でも広く使われるようになったのは、管理化の度合を高めていく 1960 年代、先進産業社会においてあらわれた反抗、とりわけ青年に見られた自己表出現象によってであった。......................

おわりに

参考文献(略)